
筆者コメント
『昨日、帰宅後興奮覚めやらぬうちにブログを書いてしまった。渡部先生は、「大東亜戦争」という言葉の意味、時代背景、各国の状況等から話始め、国内の軍部、政治家の動き、世界各国の思惑等冷静に新たに公表された機密文書をもとに敗戦までをお話されました。その一部で山本五十六のお話等が入ったりしてきました。ある意味では大変アカデミックな内容をわかりやすく興味をひくようにお話していただいたわけです。昨日のブログを見て、その一面しか伝えられなかったのではないかと、渡部先生の講演を十二分に伝えられず誤解をうんだのではないかと、あえて付け加えさせてただきます。』2月14日
いよいよ佳境に入ってきました。
今日は「大東亜戦争~何故始まり、何故敗れたのか」
最近の機密文書が明かす事実をもとに2時間にわたってお話をされた。
少年が次の展開はどうなるのだろうかと興味をもって聞き入るように
参加者は皆固唾を飲んで、時には笑いが交じりながらの
あっという間の2時間でした。
先の大戦には様々な評価があろうかと思います。
しかし、先生は、そうした中で何点か指摘をされたことがあった。
1.アメリカは、日本が戦争を避けるための努力をしていたが対日戦争に向けては固い決意をもっていたこと。
2.我々は、戦国時代の武将、信玄、信長、秀吉、家康等に興味を持つが、もっと近い教訓として無数の教訓があり、広く史実を知ることの必要性があること。
3.戦った人は、実に勇敢であったこと。
など。
そして、山本五十六と西郷隆盛のリーダーシップ論にもふれられた。
「偉い人が、急に偉くなくなってしまうことがある」という。
まさしく二人はそうであったと。
江戸無血開城、王政復古、版籍奉還・・・。これらは、西郷なくしてはできなかった。
しかし、その後、先が見えなかったという。
庄内藩の藩士が「これから何をすべきですか」という問いに、西郷は、「文武農」と答えた。
そこには、商、工が欠けていた。大久保が外遊して世界を見ることを薦めたが、ある病気のため断ってしまった。そして、城山での自決・・・。
山本も、参戦には否定的だったが、真珠湾攻撃等には大変緻密な計画を立て、航空母艦による奇襲が成功する。(ワシントンの外交官の怠慢により宣戦布告が遅れ、このことが、その後の日本軍、日本人は卑怯だというイメージを作ってしまったことは周知のことだが。)
その後、フィリピン、シンガポールと連戦連勝であったが、戦艦大和ができる。
連合艦隊司令長官は、戦艦大和に乗って指令を出すが、航空母艦中心の戦略から艦隊中心の戦略に戻ってしまう。
日本がインテリジェンスを使っていたのはそこまでで、ミッドウエイ海戦からおかしくなったという。
大きな海戦の前には当然暗号も変えるが時間がなく変えない。
参戦した軍人の昇級のことを考える。
呉の軍港では、床屋も芸者さんも「次はミッドウエイですよね」とみんな知っている。
真珠湾は誰も何も知らずに実行したが、ミッドウエイ海戦は日本国内では周知の事実。
そして、いよいよ開戦。
航空母艦4隻の後から、500キロ遅れて大和は出撃する。
出撃すれば、参戦したということで階級が上がるから・・・。全く無意味な出撃。
航空母艦3隻を失い、何よりも優秀な飛行士を300人失ってしまったのが大きいという。
そして、坂を転げ落ちるように日本は負けていく。
山本五十六も、急に偉い人が偉くなくなったという・・・。
その他にも新しい機密文書による事実に基づくお話をされた。
まだまだ、勉強しないといけないと強く感じました。