京都国際会館で会議の後、
帰途につく前にしばし京都市内をかけめぐった。
「雲関」とは、禅語で「入るために通るところ」「通らねばならないところ」
という意味がある。
まさしく雲関を感じさせてくれた京都だった。
まず、三十三間堂に立ち寄った。

一千一体の十一面千手観音像が圧巻。
何度参拝させていただいても、自分の心の奥底まで見透かされ、
そして、生きる力と啓示をいただける。

特に、今回は、観音二十八部衆の摩和裸女像(まわらにょぞう)が心を釘付けにした。
「初老の風貌を示し、合掌して佇むそのまなざしには、妥協を許さない信仰道と不退転の気迫がみなぎる。」
と解説されている。
大峯山を奥駈け修行した時、ご開帳されていた「役行者(えんのぎょうじゃ)」像、
愛媛県道後の一遍念仏像を彷彿とさせた鬼気迫るものであった。
そして広隆寺へ。
すでに寒桜がほころび始めていた。

国宝第1号の弥勒菩薩半か思惟像。

カール・ヤスパースは
「真に完成されきった人間実存の最高の理念が、あますところなく表現され尽くし(中略)
それは地上におけるすべての時間的なるもの、束縛を超えて達し得た人間の存在の最も清浄な、最も円満な、姿のシンボルであると思います。・・・」
と述べています。
弥勒菩薩の前に立つと
永遠の時間の中で大きな心の安らぎを感じます。

そして、外にはろう梅が静かに咲いていました。
厳寒の 千手観音 道しめし