
議会が閉会した開放感だろうか、
いつまでも音楽に浸っている・・・。
なぜか、カルロス・クライバーのベートーベン。
1986年、来日した時に昭和女子大学人見記念講堂で
交響曲4番と7番を聴いた。
吉田秀和氏はベートーヴェン・プロが演奏された翌日、
この時の様子を当時の新聞において次のように評しています。
「彼のやった第4交響曲、第7交響曲は、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、
のドイツの流れに根ざしながらも、近頃よくある平凡な亜流ではない、
本物の新しいベートーヴェン像を示していた。
それを一口でいうと、かつての大家たちのロマンチックで悲愴で英雄的なスタイルを避け、
しかもベートーヴェンの強烈な人間解放のエトスをたっぷり味あわせる演奏である。
センチメンタリズムを洗い落とし躍動する突進力、
まぶしいまでにひきしまった筋骨性の積極性。
テンポは早め時には目がくらむほどの早さで駆けてゆくが、
それは作曲者の指示に忠実な結果だ。
だから第7の第2楽章など、フルトヴェングラーだとおそくて壮重で瞑想的な哀歌になっていたが、
クライバーは原譜のアレグレットを守り通す。
リズムの歯切れよさ、フレージングの明確さが、音楽の力感を一層充実したものにする。
だが彼は管を2本から4本に増やす。
もっとも第4ではフルートもホルンも2本のまま、トランペットは両方とも2本だけ。
こうやって音色に明るさを華やかさを与える一方、
旋律を吹く時は、なるべく独奏的に扱い音色と構造の多様性を浮き彫りにする。
第四の第1楽章などその顕著な例、導入部から主要部へ、
主要部の再現など、まるで大輪のぼたんの開くのを見る思い。
ベートーヴェンの交響曲は生まれてから今日までの音楽の歩みの中で、
ますます、崇高、深刻にやられたり、洗練の対象にされてきたわけだが、
クライバーをきくと、古楽器を使わず現代式のグランド・スタイルでひかれているのに、
この音楽のもって生まれた健康な明るさと力強さ、それが、当時の聴衆に与えただろう、
衝撃と励ましが伝わってくる。
「楽天的なベートーヴェン像」?そうかもしれない。
だが戦後ずっとある種の違和感をもたれて不思議ではなかったベートーヴェンから、
再び生命肯定、何をももってしても止められない自由への指向を無理なく引き出すのに成功した点、
指揮者クライバーの器量の大きさを物語ってあまりあるというべきであろう。」
まさにその通り・・・。
かつての演奏が蘇る・・・。